茅茫庵 「 自適農の世界 」
 
はじめに
私の野菜たち
なぜ野菜の栽培なのか
キュウリ
トマト
「自適農」とは何か
ナス
農薬使用から無農薬への道のり
苗つくり
「旬」について
 
 
 
The world of the quiet farming
Introduction
My vegetables
Reason why I grow vegetable
 
 
 
福岡正信の自然農法と茅茫庵
  


なぜ野菜の栽培なのか





 東京でしばらく働いていた私がUターンして、週末百姓で野菜つくりをするようになった理由は何か。

 都会で働くサラリーマンの中には、田舎で農業をしてみたいという願望を持っている人が多数いるという。田舎の環境の良いところで、のんびり作物を栽培して生計を立ててみたいと思っているのだろうか。農薬付け、化学肥料だらけの畑で作られた、あまり美味しくない野菜でなく、無農薬・有機栽培の生き生きとした野菜を食べて暮らしたい、安全な米を食べて暮らしたい、と思っているのだろうか。それとも、近代的な施設を持った工場のようなところで綺麗な作物を効率的に作って安定した経営をやってみたいとでも思っているのだろうか。

 都会のサラリーマンが、田舎で農業をやってみたいと考えているといっても、その考え方は実に様々なのではなかろうか。田舎や、山の中で農業を営んでいるからといって、狭い段段畑で鍬や鎌を振り回して野菜を作っているとは限らない。人がめったに入ってこない山の中で、広大なハウスを建て、コンピューターを使って、気温や日照、湿度、液肥などの管理をし、トマトやキュウリを栽培しているところもある。たった1個のトマトにも実に様々な栽培法が隠れている。そして、その栽培法の違いは、そのまま、それを栽培する人の考え方の違いでもあるのである。

 私は、もともと百姓の次男である。兄は今も専業の農家である。ミカンやキウィフルーツ、シキビなどを栽培して暮らしている。果樹農家の暮らしと労働はきつい。ミカンやキウィフルーツというのは、だいたい山の斜面などを利用して作られており、労働の比較的楽な平地ではあまりつくられていない。もともと不利な地理的条件のもとでも作れる作物として作られてきたのである。兄が栽培しているキウィフルーツ畑は元はといえば棚田であった。35年くらい前までは米も作っていたわけである。棚田での米つくりはその景観的な美しさとは違い、大変きつい労働を伴う。兄は厳しい労働を伴う米つくりを嫌って、キウィフルーツ園にした。ミカンがあまり収入にならなくなって、キウィフルーツ栽培を始めた人はたくさんいるのである。始めた当初は利益率が高かったが、今ではキウィフルーツ栽培農家は多く、したがって利益はあまりない。

 私は、このような農家の実態を身近で見て育ってきたし、農家の暮らしがどんどん厳しくなっていく時代に、農家を離れて農業を外から見てきたのである。東京の暮らしに魅力を失い、田舎暮らしに惹かれるようになったといっても、自分が農業で暮らしをたてようと決断できるほどに農業は易しくは見えなかった。ずっと、百姓暮らしを実現できないものかと考えてきたが、いまだにできるという答えはでてこない。なぜなのか。作物を作ってみたいと思いながら、私が生業としての農業に取り組まないのはなぜなのか。農業をめぐる状況の厳しさをもって説明することはたやすい。しかし、本当の答えはそこにあるのではない。答えは環境のなかにあるのではない。答えは私自身の中にあるのである。私は作物を作ってみたいという興味は十分にあるのだが、農業、つまり生業としての農業が好きではない、ということなのである。日本の農業の生産能力は大変高い。自給率は低いが生産能力は高く、人々は飢えることなく暮らしている。このような国では農産物は農家に利益をもたらさない。このような国で利益を生み出すには、高い品質管理と強度の労働を必要とする。わずかな利益しか生み出さない農産物で生活に必要な所得を確保しようとすれば、大規模な農場と労働力を必要とするが、そうすると同じく大規模な投資を必要とし、経営は一層大きなリスクを背負うわけである。いわゆる高い品質を持った農産物を作ろうとすれば、農業の技術指導に忠実に従ってやらざるをえない。そして農作業には傍からみると簡単に見えても、体にこたえないような楽な農作業はない。畑にしゃがみこんで楽に見える草取りを経験してみるだけでよい。初心者がものの5分も草取りを続けると、大抵の者が腰の疲れや痛みを感じてくる。野菜の苗を定植する穴をスコップで一つ掘るとしよう。一つ掘っただけで息切れがする。畑の中で立ったり、腰を曲げたり、かがんだりを繰り返すだけで体は疲れてくる。その上、鎌や鍬、スコップなどを持って振り回したり、30キロもあるような集荷かごを持ち上げたりしながら毎日を過ごすのである。

 暑い夏にはクーラーが入り、冬は暖房がきいているところで、常時椅子に座ってボールペンを走らせたり、パソコンの前でキーボードを叩いている者にとってはこの農作業は余にもきつい。まして、39パーセントもの肥満になっていた私にとってはとても堪えられるものではなかったのである。私が初めて畑で野菜栽培を始めた頃は作業が継続できる時間はせいぜい20分くらいだった。絶えず休憩をしながらの作業だったのである。

 農業によって生計を立てようとすると、大変な労働が待っているのである。しかし、作物を作るということは農家でなくともできるのである。畑がありさえすれば農家でなくとも作物は作れるのである。私は、生業としての農業を営みたいのではなく、作物を作ってみたかったのである。作物の生長と共に時間を過ごしてみたかったのである。農協をはじめとする農業指導者たちの細かい指導に基づいて、忠実な管理栽培をしても、私は何も面白くない。そのような農作業をするのであれば、自動車の組み立て工場の中で、細かいマニュアルと管理の元で高品質の自動車を組み立てるのと何も変わるところがない。私にとって、面白いことというのは、何の先入見にも拘束されることの無い全く自由に行える活動、「成功からも、失敗からも完全に解放されている自由な活動」のことなのである。だから、私がしようとする作物の栽培はそのような自由な活動でなければならず、生計は農業ではなく、別の処で確保するようにしたのである。

 14年半勤めた職場を辞めて、平成元年春、私は故郷の愛媛県に帰ってきた。実家は松山から車で丁度1時間の田舎町で、育ったところはこの町の、標高350メートルくらいの山の中である。私は松山市に住むことにした。なぜ、松山市なのか。なぜ、実家の田舎ではないのか。職を求めるには中都市である松山市がベターだからである。松山市に住めばある程度都市の暮らしが可能であり、1時間走ればいつでも田舎に行くことができるのである。都市の便利さと田舎の環境を共に手に入れるには、中都市に住むのがうってつけなのである。

 東京での仕事を辞めて、地方の松山市で職を求めると収入は極端に減る。再就職してもその職場が自分に向いているとは限らない。現在も続いている会社に入る前の1年ちょっとの間に、私は3度会社を辞めた。安定した再就職は4度目の会社だったのである。しかし、年収は東京で働いていたときの半分以下になった。年収が半分以下になると、それまでの消費水準を徹底的に引き下げていかなければならない。乗っていた2000CCの乗用車を軽乗用車に替え、ガソリン代他の維持費を減らした。外での高くつく食事を減らした。遠くへの旅行を止やめて、四国内のドライブ程度にした。持っている金を全て突っ込んで小さな家を買い、家賃を無くした。貯金も、借金も無くした。洋服などの購入を減らした。しかし、人間、切り詰めるだけでは我慢はできない。自分のやりたいことを何かしなければならないのである。趣味なり、遊びというものが無ければ生きていることの歓びは無いのである。そこで、私は趣味を野菜つくりと、庭つくりに集中した。野菜栽培は、遊びとして、趣味として十分な興味をそそるだけでなく、食べて消費するという実益がある。実益といっても一人の人間の一年間の野菜消費額はせいぜい10万円にも満たないくらいだから、それほどの実益があるわけではないが、ゴルフやカラオケのような消費だけの趣味や、道具立てや船賃に金のかかる釣りなどに比べると、金銭的な実益はまだある方である。

 人が、家計からの出費を抑えなければならなくなったとき、遊びや趣味にかける出費を減らすということは意外と効果があるのだが、なかなか難しいことでもある。だから、金のかからない遊び、実益のある遊びに興味を持つことが良いわけである。

 私が、野菜栽培に趣味としてのめりこんでいく大きな理由の一つは、この経済的理由なのである。だから、私の野菜栽培の基本の一つはお金のかからない野菜栽培ということになるのである。