茅茫庵 「 自適農の世界 」
 
はじめに
私の野菜たち
なぜ野菜の栽培なのか
キュウリ
トマト
「自適農」とは何か
ナス
農薬使用から無農薬への道のり
苗つくり
「旬」について
 
 
 
The world of the quiet farming
Introduction
My vegetables
Reason why I grow vegetable
 
 
 
福岡正信の自然農法と茅茫庵
  

     
 はじめに

                                               

                    

                         

私は、農家の次男で、地方の大学を卒業すると同時に東京に出た。しばらく、定職に着かずアルバイトをしながら暮らし、2年半ほどして、職についた。初めての定職だったが、とりあえず、3年くらいお世話になろう、と考えていた。東京に出た当初の目的は、勉強することであったが、アルバイトをしながらの勉強は思うようにははかどらなかった。そして勉強は諦めた。諦めた理由は、アルバイトが勉強の妨げになったからではない。自分の頭の水準では学問によって身を立てることはできないと悟ったからである。

 色々と職を探して、職につくことができた。「とりあえず、3年くらいお世話になろう」と思って就いた職だが、14年半、お世話になった。

ここでの仕事に特に不満はなかった。それなりに誇りに思いながら仕事をしていたし、面白さもあった。しかし、もう一面では、人間関係や方針上の問題で未熟さからくる色々な衝突があったし、ストレスがかなり強かった。普通のサラリーマン並に休日出勤や夜10時、11時に及ぶ残業は日常のことであった。額や唇の端の方がピリピリと引きつっていることもよくあったし、原因不明の背中から胸にかけての持続的な痛みに不安になり、夜中に救急車で病院へ駆け込んだこともあった。このような日々の中で食欲だけは旺盛で、大変な肥満になっていた。39パーセントの肥満体であった。仕事が終わって自分のアパートに帰ると、音楽を聞くとか、テレビをみるか、パソコンをいじるかする日々であった。次第にアパートと職場を往復する毎日に倦んでドライブすることが多くなった。木の緑を求めていた。山中湖や河口湖あたりまで行って湖畔の喫茶店の窓から富士山を眺めつつコーヒーを飲むのが心地よかった。「生活と生き方を変えよう」という思いが次第に膨らんでいた。

 子供の頃は山の中で育ったので、木や草の緑の中があたりまえだった。東京での暮らしは、違っていた。山村では人は少ないが、出会う人の名前や顔は殆ど分かる。都会では毎日数え切れないほど多くの人に出会うが、知っている人の割合は極めて少ない。都会では、一人になりたいときには、新宿や渋谷のような雑踏の中に行けばよい。一層孤独になれる。一人のアパートにじっとしているよりもっと孤独になれる。東京は孤独を楽しむにはもってこいだが、心穏やかな日々を送るには不向きなところだ。

 私は、学生の頃には見向きもしなかった田舎の暮らしに次第に惹かれるようになった。ベランダで野菜を作ってみたりするようになっていた。同じ職場で働いていた親しい友人が仕事をやめて長野の山に引っ越すというので、私もこれを機に退職し、出身地の愛媛県に帰ってきた。松山市に家を求めて、職を得、日曜百姓を始めた。日曜百姓を始めて15年が経った。この15年間、ずっと自分の畑遊びをしてきた。この15年間ずっと「農」というものを考えてきた。今や、私にとって「作物」とのかかわりは、それなしには本来の自分ではいられないような関係になっている。畑の中で作物に向かっているときの心の充足感は他では決して得ることができない。一日の作業予定を終えてから、期待通りに育っている作物の脇に座ってそれを眺めていると、頭の中は空っぽになってきて、ただひたすらに作物を眺め、しばし離れがたい気持ちになっている自分がいる。

 東京で仕事をしていたときには、職場と自分の人生とが重なっていて、職場の中で実績をあげることが自分の幸福に繋がると思っていた。愛媛に帰ってからは、仕事は生活の糧を確保することであり、人生全体の中では一部を構成するに過ぎず、仕事での成功や社会的地位の獲得は自分の幸福には本質的なかかわりがないものと考えるようになった。組織の中で組織の向上と自分の幸福とを重ね合わせると人は背伸びをするようになる。「背伸びをやめよう。身の丈、ありのままの自分で生きていこう。」このように人生観を転換することによって、ピリピリしていた額や唇は穏やかになり、背中から胸にかけて走っていた痛みは完全に姿を消した。

 私は、作物とのかかわりを大変大事なものと感じているが、ここでは、私の作る作物が素晴らしいとか、私の栽培法が優れているといったことを書こうと言うのではない。私の栽培法は凡庸なものである。けれども、もしかすると人間と作物とがかかわる世界について、一枚の絵を提供することができるかもしれないとひそかに思っているのである。その絵は美しくもなく、素描程度でしかないが、もし、それができたなら、大満足なのである。